1954年 千葉県市川市出身
システムエンジニアとして勤務し、人工衛星を利用した国際データ通信システムや石油プラントの開発などに従事した後、1981年に留学のため渡米する。
米国留学中に「人間到るところ青山あり」を身をもって体験し、それまで持っていた島国根性から幾分脱することができたように思う。
帰国後1988年にソフトウェア研究開発の「株式会社リムコーポレーション」を設立し代表取締役に就任する。
世界各国の言語を、コンピュータ処理できるようにデジタル化(Font)し世に発表する。世界最小日本語ビットマップ書体を発表して、業界にセンセーションを巻き起こす。
弊社コア・コンピタンスである「人工知能を基盤とした最先端ソフトウェアテクノロジー」で、フォント事業、品質評価(QA)事業、ドキュメント事業を次々に興し、情報化社会の発展に貢献する。
大学院修士課程修了。(工学修士)
専門は、人工知能(認知工学、ヒューマンインタフェース)。
現在は、東洋文化を背景とした「認識・感性工学」に興味がある。
私が中学3年生(15歳)の時に考えた座右の銘です。それ以来自らの行動規範にしております。
事を成すときに、意志以上に優先される基礎的要因はない。
一本芯が通っていて飾り気がない。こういう人物は仁者に近いと孔子が論語の中で言っております。
都会でお国訛りで話している人に会うと、一本筋が通っているようで良いものですね。
巧言令色、鮮なし仁にならぬように気を付けたいと思います。
私は1日に3回、自分を反省します。人のためにしたことを、いい加減な気持ちで処理しなかったであろうか。
友人とつき合う際に、嘘をつかなかったであろうか。
自分で確信の持てないことを、もっともらしく人に教えはしなかったであろうかと。
1961年 静岡県浜松市出身 横浜国立大学工学部卒
地元大手楽器メーカーに就職し、スポーツ用品の商品開発を担当したのち海外工場の操業立ち上げに従事。
このときに経営に興味をもちメーカーを退職。
その後、中小企業経営を経験するなかでバブル崩壊となり、大手金融機関との折衝とリストラが仕事となった。
このときの経験は「会社を取り巻く環境変化に強い経営」を自らの経営哲学として確立させることになった。
イタリアの格言でメメントは「思う」、モリは「死」
「死を思え」とは、シシリー島マフィアの格言ではなく、「いつ死んでも悔いの残らない生き方を心がけなさい」という意味。
学生時代に始めたサーフィンは、途中10年ほど中断したが、30年近いキャリアになる。
ショートからロングまで様々な長さ、形の異なる板は9枚あり、季節や波の大きさ、形によって使い分けている。
毎年、春からロングボードでサーフシーズンをスタートし、秋の台風シーズンにショートボードで締めくくる。
最近では、サーフィンの撮影も趣味として楽しんでいる。
本は年間に20〜30冊は読むことにしている。
最近、お気に入りの作家は塩野七生で、「ローマ人の物語」を読破。ユリウス・カエサルの生き様に感動し、キリスト教世界以前のギリシアから続く地中海文明に傾倒している。
塩野七生を通じてヨーロッパの歴史に没頭するのが最近の楽しみでもある。
人生も半ばを過ぎて自らの人生哲学を模索していくには歴史を知ることが価値観形成に不可欠であると考えるようになった。
異業種交流(経営倶楽部フロンティア)は、約30社の参加組織で運営している。
協同組合としてスタートして現在は任意団体となっているが10年以上の歴史がある。
世代、業界、人生などすべてが異なる人たちとのコミュニケーションスキルを磨くことは、経営者としての器量も大きくなるに違いないという価値観から代表世話人をつとめている。
1961年 静岡県磐田市出身
大阪大学工学部卒
現在 税理法人BETTあかつか事務所・所長
静岡大学 情報学部情報社会学科 助教授
平成4年静岡大学工学部卒業、平成6年同大学院工学研究科修士課程修了、平成9年同大学院電子科学研究科博士課程修了。
平成9年静岡大学情報学部 助手を経て、平成14年より現職に至る。
専門は、映像メディア処理やエッジ検出であり、画像処理研究のスペシャリストである。
千葉大学 工学部 デザイン工学科 教授
学歴:千葉大学工学部工業意匠学科1963年、千葉大学1997年博士(学術)
職歴:キヤノンカメラ(株)、千葉大学工学部助手、同講師、1977年現職
専門分野:視覚伝達デザイン
研究テーマ:・視覚を主とするメディア(媒体)デザイン。
新聞、雑誌、インターネットなど媒体の役割や影響についての調査研究および各種媒体の具体的デザイン提案。